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【教員リレーコラム】第13回 近野智子「35年ぶりの同窓会」

【閉校した母校 清瀬リハ】 【閉校した母校 清瀬リハ】

作業療法学科の近野智子と申します。35年前、作業療法士を目指し、養成校に入学しました。その学校は、もう今は閉校されてしまいましたが、日本で初めて設立された、作業療法学科20名、理学療法学科20名定員の国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院という、3年制の専門学校です。東京都清瀬市に学校がありましたので、通称「清瀬リハ」と呼ばれていました。

当時は全国的に理学療法士・作業療法士の養成校は少なく、まだ大学・短大の課程もなかった時代だったので、さまざまな年齢や学歴、職歴を持つ学生が清瀬リハに入学してきました。高校卒業後すぐに入学してくる学生もいれば、大学院卒業後に入学してくる人もいましたし、銀行員、主婦、自衛隊員、デザイナー等、職種・職歴も多様でした。

作業療法学科も理学療法学科の学生も一緒に解剖学、生理学、運動学、整形外科学などの授業を受け、2/3以上の学生は寮生活を送り、通学生もしばしば寮に泊まり、飲み会、レポート課題、実技練習、グループワークなどを行なっていましたので、40名が寝食を共にしながら3年間を過ごしました。


今年の3月、35年ぶりの同窓会を開きました。今年50歳代で亡くなった友人を追悼し、集まった同期生との再会を喜び、遠方の人とはZoomで繋いで近況報告をし合いました。あっという間に35年の時間を飛び越えて、学生時代に戻り楽しい時間を過ごしました。

同期生は既に50歳を超え、職場の管理職や指導的な立場になっています。独立して開業した人もいれば、清瀬リハを卒業後、小学校教諭を目指して夜間大学に通い小学校の校長になった人もいます。また、残念ながら若くして亡くなった方もいます。

今年、亡くなった同級生は、卒業後子育てをしながら仕事を続け、勤務していた高齢者施設の副施設長となり、介護職員と利用者さんのために、さまざまな福祉機器を導入し、職員が機器を使いこなせるように教育し、マニュアルを作成して、安全で楽な介護を実現しました。多くの職員と利用者さんから信頼される頼もしい存在でした。彼女が学生だった頃は、寮生でしたが毎日アルバイトに励み、あまり勉強に熱心ではなかったように思いますが、卒業後の彼女の精力的な仕事ぶりには、同級生は皆驚いていました。

別の作業療法学科の女性の同級生は、毎日アルバイトとパンクの音楽ライブにのめり込み、1年留年しましたが、卒業後はストイックなまでに仕事に邁進していました。

3年生の夏休みに大怪我をして留年した理学療法学科の同期生も、卒業後、大学病院に就職し、その後訪問看護ステーションを立ち上げ独立しました。


これまで私が教員として関わってきた学生さんたちも、学生時代は決して勉強に熱心ではなく、アルバイトや遊びに力を注いで留年したり、教員から心配されていた人たちが、5年後、10年後には職場を牽引し、作業療法士としての専門性を追求して自己研鑽を重ね、真摯に患者さんと向き合い、良い仕事をしているねと周囲が認めるような人材になっています。

自分自身を含め、10年後、20年後の姿を誰も予想することができません。生物学的にもヒトの細胞は死と再生を繰り返し、全身の細胞が入れ替わってしまうのだそうです。自分自身は変わることのない連続性のある存在であると同時に、過去の自分と今の自分は違う存在でもあります。

今、この大学に在籍している学生さんも、これから作業療法士・理学療法士を目指そうとしている方たちも、未来の姿は、自分自身も、他人にも想像できないけれど、毎日の生活の積み重ねの中で、形作られていくものだから、自分の想いを大切にして一歩一歩、歩んでいってほしいと思っています。

執筆者プロフィール

近野 智子(TOMOKO KONNO)

作業療法学科 教授・学科長

専門領域:身体障害領域の作業療法(主に、脳血管障害、高次脳機能障害のリハビリテーション肢体不自由者、高次脳機能障害者の地域生活支援及び就労支援)、作業療法教育では、simulated patientを活用した医療面接

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